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【家族構成】朝乃山の知られざる素顔!父・母・兄弟、家族の力が生む不屈の闘志

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富山が生んだ力士・朝乃山関。幼少期から相撲と向き合い、近畿大学時代には全国の舞台で活躍。

プロ入り後も持ち前の「右四つ・寄り切り」のスタイルで一気に大関昇進を果たしました。

しかし、コロナ禍での不祥事により大関から陥落…。

それでも、父との約束を胸に再起を誓い、土俵に戻ってきた朝乃山関。

彼の家族構成や知られざる素顔とこれまでの軌跡、これからの挑戦を振り返ってみたいと思います。

目次
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朝乃山の家族構成

朝乃山関は、富山県富山市出身で、家族は父、母、兄、弟の5人家族です。

父親の石橋靖さんは熱心な相撲指導者であり、幼い頃から朝乃山関に相撲の基礎を教え込んだと言われています。

母親の佳美さんは、常に温かく見守り、家族全体で朝乃山関を支えてきました

父親wikiプロフ

朝乃山関の父・石橋靖さんは、地元で相撲道場を開き、地域の子どもたちを指導していた熱心な指導者でした。

幼い頃から朝乃山関にも相撲の基礎を教え、厳しくも愛情あふれる指導が今の朝乃山関を育てたと言われています。

石橋靖さんの生涯

靖さんは2021年8月16日、急性心原性肺水腫で64歳で亡くなりました。

実は靖さん自身に相撲経験はなかったそうですが、息子が相撲を始めてからは全力でサポートしていたそうです。

家族との関わり

靖さんは、朝乃山関が相撲を始めたきっかけとなった人物です。

幼い頃から相撲の基礎を教え、厳しくも愛情深い指導を行いました。

彼の指導は、朝乃山関の相撲人生において大きな影響を与えました。

応援と支え

朝乃山関がプロ入りを決めた時には、母親の佳美さんと一緒に「全力で応援しよう」と決意。東京場所では初日・中日・千秋楽の3日間、両国国技館に通い、大阪、名古屋、福岡の場所にも必ず足を運びました。

会場へ行けない日はテレビで観戦し、取組後にはLINEでメッセージを送っていたそうです。

名前の由来

朝乃山関の本名「広暉」は、靖さんが名付けたもので、「心の広い、おおらかな人になるように」「人と同じではなく違ったことが成るように」という願いが込められています。

最後の言葉

靖さんが亡くなった後、朝乃山関は「もう相撲を辞めよう」と考えたこともあったそうです。

母・佳美さんの「お父さんが一番復帰を望んでいたから、もう一回頑張ろう」という言葉で再び立ち上がったそうです。

母親wikiプロフ

朝乃山関の母、石橋佳美さんは、家族を支える存在として、常に朝乃山関を見守ってきました。

彼女の温かい励ましが、朝乃山関の心の支えとなっています。

佳美さんの生涯

佳美さんは、富山県西部の氷見市出身で、幼少期は氷見のブリを食べて育ちました。

現在も富山市に住んでおり、朝乃山関の実家は富山市呉羽町にあります。

家族との関わり

佳美さんは、朝乃山関が相撲を始めた時からずっと応援してきました。

高校生の時には毎朝早起きしてお弁当を作り、試合の応援にも駆けつけていました。

また、車での送り迎えも行い、息子の活動を全面的にサポートしていました。

応援と支え

佳美さんは、朝乃山関がプロ入りすることを決めた時も、夫の靖さんと共に応援しようと決意しました。

東京場所なら初日、中日、千秋楽と3週連続で両国国技館へ行き、大阪、名古屋、福岡場所も必ず会場へ行きました。

会場へ行けない日はテレビで観戦し、取組後にはLINEでメッセージを送っていたそうです。

兄弟wikiプロフ

朝乃山関には、5歳上の兄・石橋卓磨さんと3歳下の弟・石橋尚也さんがいます。朝乃山関は3人兄弟の真ん中です。

石橋卓磨さん

卓磨さんは福島県の大学を卒業後、会社員として働いています。

相撲はしていなかったものの、朝乃山関の成長を近くで見守り、励ましていたそうです。

石橋尚也さん

尚也さんは2020年の春から東京で就職。相撲経験はなく、朝乃山関とは体格がまったく違い、すらっとした体型だそうです。

地元の行きつけの食堂を手伝っている姿も見かけることがあるそう。

兄弟の関係

朝乃山関と兄弟の仲はとても良く、「俺は拾われた子かな」と冗談を言うほど、見た目や体格が違っていても、兄弟の絆はとても強いようです。

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朝乃山の学歴出身校を調査

出身校:小学校

朝乃山関は、富山市立呉羽小学校に通っていました。

ここで相撲を始め、基礎を築きました。

小学校時代には、ハンドボールも並行して行い、運動神経の良さを発揮していました。

相撲の始まり

朝乃山関は富山市立呉羽小学校に通っていました。

小学校4年生で相撲を始め、基礎を築いたそうです。実はハンドボールもしていて、運動神経抜群だったとか。

ハンドボールとの並行

特にハンドボールではゴールキーパーとして活躍し、富山県の強化選手に選ばれるほどの実力だったようです。

相撲とハンドボールを両立していたなんてすごいですよね。

小学校時代のエピソード

朝乃山関は、小学校時代に相撲の基礎を築きながら、ハンドボールでも活躍していました。

両方のスポーツを通じて、体力や技術を磨き上げ、後の相撲人生に大きな影響を与えました

出身校:中学校

その後、富山市立呉羽中学校に進学。

相撲部への入部

最初はハンドボール部に入ったものの、厳しい練習に耐えられず退部。

その後、相撲部に入り、本格的に相撲を始めました。

全国大会への出場

中学3年生の時には全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場。

中学校時代のエピソード

左肘を骨折するというアクシデントがありましたが、これをきっかけに右四つの形を磨いたそうです。

出身校:高校

高校は富山県立富山商業高校に進学。

富山商業高校への進学

中学3年生の時に相撲を辞めようか悩んでいたところ、富山商業高校相撲部監督の浦山英樹さんに「富商に来い。俺が強くしてやる」と誘われてスポーツ推薦で入学。

高校時代の活躍

富山商業高校では、相撲部の主将を務め、厳しい稽古に励みました。

高校3年生の時には、選抜高校相撲十和田大会で準優勝するなどの実績を残しました。

この時の決勝の対戦相手は、現在の逸ノ城である鳥取城北高校2年生のイチンノロブ君でした。

恩師との絆

浦山英樹監督は、朝乃山関にとって非常に重要な存在でした。

浦山監督の指導のもとで、朝乃山関は右四つの形を磨き上げました。

浦山監督は、朝乃山関が新十両昇進の際に四股名を「朝乃山英樹」としたほどの恩師でしたが、幕下優勝を決めた翌日に膵臓がんで40歳の若さで逝去しました。

後に遺族から「浦山英樹」の名前入りの化粧まわしを贈られています。

高校時代のエピソード

高校時代の朝乃山関は、身長183cm、体重100kgで相撲部員としてはひょろひょろでしたが、浦山監督の指導のもとで稽古を重ね、体格と技術を磨きました。

高校3年間は非常に厳しい稽古の日々でしたが、主将として仲間と共に頑張り抜きました。

出身校:大学

高校卒業後、朝乃山関は近畿大学に進学。

近畿大学相撲部は全国でもトップレベルの強豪で、入部当初から朝乃山関も期待されていました。

1年生の時には大学1年生以下の大会である全国大学選抜相撲宇佐大会で優勝。

これをきっかけに自信をつけ、さらに稽古に励むようになったそうです。

大学時代の活躍

大学時代に特に注目されたのは、2016年の全国学生相撲選手権大会(インカレ)。

この大会で準優勝を果たし、幕下付け出し資格を獲得。

この成績がきっかけで、プロ入りを決意することになりました。

恩師との絆

近畿大学での恩師は伊東勝人さんです。

伊東先生は、朝乃山関の将来性を見いだし、体幹トレーニングを重点的に課したり、食事をたくさんとらせたりしました。

その結果、入学時130キロだった朝乃山関の体重は、卒業時には162キロにまで増えました。

大学時代のエピソード

大学1年の3月に、近畿大学と高砂部屋の合同稽古で幕下力士と稽古を行った際、相手を受け止められずに吹っ飛ばされたことがありました。

この経験から、大相撲入りは考えていなかったそうです。

しかし、大学2年の時に若松親方(初代朝乃若)に勧誘され、高砂部屋へ入門することになりました。

2019年5月場所で幕内初優勝を果たした時には、近畿大学前商店街をパレードし、近畿大学の学長から近大マグロを贈呈されました

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知られざる家族絆

相撲をはじめたきっかけは

朝乃山関が相撲を始めたきっかけは、小学4年生の時に出身小学校の先生に相撲の大会に誘われたことでした。

誘われた数日後に地元で行われた地区大会に出場したことで、朝乃山関の相撲人生が始まりました。

小学校時代の相撲

朝乃山関は、富山市立呉羽小学校に通っていた頃、相撲を遊びの延長として楽しんでいました。

友達と一緒にワイワイと相撲を取ることが好きで、自然と相撲に親しんでいきました。

また、ハンドボールも並行して行い、富山県の強化選手に選ばれるほどの実績を残していました。

中学校での本格的な取り組み

中学校に進学した朝乃山関は、最初はハンドボール部に所属していましたが、厳しい練習に耐えられず退部しました。

その後、相撲部に入部し、本格的に相撲に取り組むようになりました。

相撲部の顧問に誘われたことがきっかけで、相撲を続けることを決意しました。

家族の影響

朝乃山関が相撲を続ける上で、家族の影響も大きかったです。

特に父親の石橋靖さんの熱心な指導が、朝乃山関の相撲人生の原点となりました。

幼い頃から父の指導を受け、相撲の基礎を学びました。

高校での転機

中学3年生の時に全国都道府県中学生相撲選手権大会で左肘を骨折し、相撲を辞めることも考えましたが、富山商業高校相撲部監督の浦山英樹さんに「富商に来い。俺が強くしてやる」と声をかけられ、スポーツ推薦で入学しました。

この出会いが、朝乃山関の相撲人生において大きな転機となりました。

家族全体の絆

朝乃山関が苦しい時期を乗り越えられたのは、家族の支えがあったからです。

特に、父親の言葉や母親の励ましが、彼の心の支えとなりました。

家族全体で朝乃山関を支え、彼の成功を陰ながら支えてきました。

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朝乃山wikiプロフ

  • 四股名: 石橋 → 朝乃山
  • 本名: 石橋 広暉(いしばし ひろき)
  • 愛称: イシバシ、バッシー、富山の人間山脈
  • 生年月日: 1994年3月1日
  • 出身地: 富山県富山市
  • 身長: 189cm
  • 体重: 164kg
  • 所属部屋: 高砂部屋
  • 得意技: 右四つ、寄り、上手投げ

成績

  • 最高位: 東大関(2020年9月場所、2021年5月場所)
  • 生涯戦歴: 354勝181敗156休(53場所)
  • 幕内戦歴: 244勝153敗98休(33場所)
  • 優勝: 幕内最高優勝1回、十両優勝1回、幕下優勝1回、三段目優勝1回
  • : 殊勲賞2回、敢闘賞3回、技能賞1回
  • 金星: 1個(鶴竜)

趣味・好物

  • 趣味: 格闘技観戦
  • 好物: ブリの塩焼き、寿司
  • 好きな音楽: 洋楽
  • 好きな漫画: 『ザ・ファブル』

来歴

  • アマチュア時代: 富山県富山市呉羽町で出生。小学4年生から相撲を始め、富山市立呉羽中学校、富山商業高校、近畿大学経営学部経営学科に進学。
  • プロ入り: 2016年3月場所で初土俵を踏み、2017年9月場所で幕内デビュー。2020年3月場所後に大関昇進。

特記事項

  • COVID-19関連の処分: 2021年6月にCOVID-19関連の規則違反で1年間の出場停止処分を受け、2022年7月に復帰。
  • 怪我: 2024年7月に左膝前十字靭帯を断裂し、再び休場。
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入門とプロデビュー

大学卒業後、朝乃山関は高砂部屋に入門。
相撲界に入るきっかけは、大学時代に指導を受けた伊勢ヶ濱部屋の横綱・旭富士(現伊勢ヶ濱親方)の助言だったそうです。

ただ、朝乃山関自身は「高砂部屋の雰囲気が自分に合っている」と感じ、最終的に高砂部屋を選びました。

2016年3月にプロ入りし、前相撲でデビュー。

すると、そこから一気に成績を伸ばし、2017年3月場所では幕下優勝を果たして新十両昇進。

さらにその年の9月には幕内昇進を果たしました。

新入幕の頃から「右四つ・寄り切り」のスタイルを貫き、堂々とした相撲を取っていました。

新入幕2場所目となる2018年1月場所では11勝4敗の好成績を収め、敢闘賞を受賞。デビュー直後から注目を集めていました。


令和の大関昇進

朝乃山関が一気にスターダムにのし上がったのは、2019年。
2019年5月場所で12勝3敗という成績を挙げ、なんと初優勝!

さらに、この成績が評価されて大関昇進が決定しました。

この時の優勝インタビューでは、「父に優勝を報告したい」と涙を流しながら語った姿が印象的でした。


父・靖さんが生前に「お前なら横綱になれる」と励ましてくれていたことを思い出し、「お父さんとの約束を果たした」と語っていました。


コロナ禍と謹慎処分

順調に見えた朝乃山関のキャリアですが、2021年に大きな試練が訪れます。


コロナ禍の影響で相撲界にも厳しい感染対策が求められていた中、朝乃山関はそれに反して夜の飲食店に出入りしていたことが報道されてしまいました。

この件で、日本相撲協会から6場所出場停止という重い処分を受けることになり、さらに大関から陥落。朝乃山関にとって最大の挫折となりました。

当初、朝乃山関は引退も考えたそうですが、母・佳美さんや部屋の仲間、そして地元の友人から「お父さんが応援しているから、辞めたら後悔するよ」という言葉をもらい、再起を決意。


再起への道

2022年7月場所から復帰し、そこから怒涛の快進撃を続けます。


復帰初場所から7戦全勝で優勝。翌場所でも6勝1敗と好成績を収め、一気に十両に返り咲きます。

2023年1月場所で幕内復帰を果たし、10勝5敗の好成績。
朝乃山関は「支えてくれた人への恩返しができた」と笑顔を見せていました。

2023年の終盤には、再び三役(関脇)に復帰。2024年に大関復帰、そして横綱昇進も期待されています。


朝乃山関の性格

朝乃山関は、関取仲間や親方から「とにかく真面目」と言われています。
特に、稽古への姿勢は誰よりもストイックで、朝稽古は誰よりも早く土俵に入り、最後まで汗を流しているそうです。

また、意外と天然な一面もあるそうで、部屋では「ボケ担当」としてかわいがられているとか。
食事に行くと、後輩の注文を忘れたり、自分だけで大量に注文してしまったり…というエピソードもあるそうです。

さらに、朝乃山関は地元・富山への愛が強く、休みの日には地元に帰って地元の人と交流したり、母校である富山商業高校の相撲部を訪れて後輩たちにアドバイスを送ることもあるそうです。


まとめ

朝乃山関は、富山の家族の支え、地元への感謝、そして父との約束を胸に、これからも土俵に立ち続けることでしょう。
「横綱になる」という夢に向かって、これからの活躍に期待が高まります!

朝乃山関、応援しています!

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